小松法律事務所

夫婦共同作成名義遺言書を夫単独遺言として有効とした高裁決定紹介


○「共同遺言無効の主張を排斥し夫婦連名遺言を有効とした地裁判例紹介」の続きで、夫婦共同作成名義の遺言書について夫の自筆証書遺言として有効とした昭和57年8月27日東京高裁決定(判タ483号155頁、判時1055号60頁)を紹介します。

○夫婦共同遺言の形式があつても、妻は夫が本件遺言書を作成したことを同人の死後まで全く知らず、本件遺言書に自らの氏名が記載されていることも知らなかつたこと、本件遺言書に記載された不動産はすべて夫の所有であり、妻が所有あるいは共有持分を有するものはないことから、夫単独の自筆証書遺言であると認定されました。

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主    文
本件抗告を棄却する。 

理    由
 抗告人は、「原審判を取り消し、その事件を長野家庭裁判所諏訪支部に差し戻す。」との裁判を求め、抗告の理由として、別紙一のとおり主張した。

 一件記録によると、本件においては、別紙二のとおりの内容が記載された「遺言状」と題する書面(以下「本件遺言書」という。)が作成されており、その被相続人A(以下「被相続人」という。)の署名の下及びその左横には「A」と刻された丸形の印章による押印があり、右署名の下部に記載された「母C(※母Bの姓)」の名の下及びその左横には「C」と刻された小判形の印章による押印があること、被相続人は、生前、つねづね、相手方Bとの間で、被相続人と相手方Bのいずれかが死亡したときは、本件遺言書の冒頭部分記載の土地建物は、それぞれの子らに分与し、残余の財産は、相手方Bが取得し、又は被相続人に留保するようにしようという趣旨のことを話し合つていたこと、しかし、これを被相続人と相手方Bの共同の遺言書に作成するということは格別話し合つたことはないこと、本件遺言書は、これを作成することについて、相手方Bには何ら話をせずに、被控訴人がすべて単独で作成したものであり、被控訴人が全文、日附及び自らの氏名を自書して自己名義の押印をし、相手方Bの氏名も同人が書き、「C」名義の押印も同人がしたものであること、相手方Bは、被相続人が本件遺言書を作成したことを同人の死後まで全く知らず、本件遺言書に自らの氏名が記載されていることも知らなかつたこと、本件遺言書に記載された不動産はすべて被相続人の所有であり、相手方Bが所有あるいは共有持分を有するものはないことが認められる。

 そして、遺言は法律行為の一つであつて、一定の法律効果を伴うものであるが、右のような本件遺言書の内容は、被相続人所有の財産の処分に関するもののみであつて、相手方Bの遺言としては何ら法律上の意義をもたないものであることからすると、本件遺言は、一見、被相続人と相手方Bとの共同遺言であるかのような形式となつてはいるが、その内容からすれば、被相続人のみの単独の遺言であり、被相続人が自己の氏名の下に、相手方Bの氏名を書き加えたのは、前記のように、それぞれの子に対する財産の配分について、相手方Bとの間でつねづね話し合つていたという経緯からしてその遺言における財産の配分については、相手方Bと相談の上、決めたものであり、その内容については、相手方Bも同じ意思である旨示す趣旨から書き加えたものと解するのが相当であつて、本件遺言書は、被相続人の自筆証書による単独の遺言として有効であるというべきである。

 したがつて、抗告人の抗告の理由とするところは失当であり、一件記録を精査しても、原審判には、他に何ら取り消すべき事由は見当らないから、本件抗告は理由がない。
 よつて、主文のとおり決定する。
(香川保一 菊池信男 吉崎直彌) 

抗告の理由
一 原審判は、被相続人Aの遺言書を有効と認定し、遺言書の内容は相続分の指定を伴う遺産分割方法の指定であると認定した。
 しかしながら、本件遺言書は被相続人Aと相手方Bとの共同遺言であつて、民法975条により無効のものであり、これを有効として遺産分割をした原審判は違法である。

二 原審判が本件遺言書を有効と認定している理由は、被相続人夫婦は遺言書を作ること、およびその内容を本件遺言書の如きものとすることを常々話し合つていたが、本件遺言書は数人の者が相談の上各自の財産の処分につき一通の遺言書で遺言をしたものではなく、共同名義人となつている妻には本件遺言書の作成の意思はなかつたのであるから本件遺言書は共同遺言とは解されない、ということのようである。

 ところで、遺言は民法の定める方式に従わなければ効力がないことになつており、自筆遺言証書においては遺言書の全文・日付・氏名とを自署して捺印しなければその効力はないことになつている。このように遺言は要式行為であつて、共同遺言であるか否かの判断も客観的になされなければならないというべきである。そして本件遺言書が共同遺言であることはその形態からみて疑問の余地はない。

 共同遺言の形態には種々のものが考えられるが、たとえば、自筆遺言証書において数人の共同遺言者の内の一人が他の遺言者全員から委されて遺言書の全文・日付・氏名等を全て書いてしまう場合も十分あり有ることである。このような場合、共同遺言者を実際に書いた者が死亡してしまえば共同遺言書の作成を委せたのか否かは生存している共同遺言者の意思一つで、共同遺言であるか否かが左右されてしまうことになる。

 本件遺言書においても共同遺言者である相手方Bは被相続人と、遺言書を作成すること、および遺言書の内容は本件遺言書の如きものとすることを常々話し合つてきたというのであるから、相手方Bは遺言書の作成を被相続人に委任していたものと推測し得るところであり、そう解するのが合理的であるが、被相続人が死亡している現在においてはその真相を知ることは極めて困難である。

 このように遺言書の形態が共同遺言になつていること自体が紛争を招き、法律関係を複雑にすることになるために共同遺言であるか否かの判断は客観的にその形態からなされなければならないのである。