小松法律事務所

公正証書遺言について錯誤を理由に無効とした地裁判決紹介2


○「遺言での錯誤は動機非表示でも要素の錯誤になりうるとした地裁判決紹介」の続きで、亡Dの母であり相続人の一人である原告が、亡Dはその財産全部を被告に遺贈する旨の公正証書遺言(本件遺言)をしていたが、同遺言における亡Dの意思表示は、被告が実子であることを要素ないし動機とするものであったところ、被告が亡Dの実子ではないことが判明した以上、本件遺言も錯誤により無効であると認めた平成25年7月30日さいたま地裁(ウエストロー・ジャパン)全文を紹介します。

○被告は、遺言者亡Dは川口市内の賃借マンションで、平成22年4月からB女及び被告との同居を始め、生活を共にする被告に財産を残すため,また,自分の死後財産について争いにならないように本件遺言をしたのであり、真意に基づき被告に財産を相続させるべく遺言をしたことが明らかであり、本件遺言作成時に亡Dに錯誤がなかったと主張しましたが、採用されませんでした。

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主   文
1 原告と被告との間において,さいたま地方法務局所属公証人C作成の平成22年第95号遺言公正証書による亡Dの遺言は無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由
第1 請求

 主文同旨

第2 事案の概要
 本件は,亡D(以下「亡D」という。)がその財産を被告に遺贈する旨の遺言をしていたところ,遺言は錯誤により無効であるとして,亡Dの相続人の一人である原告が,遺言の無効確認を求める事案である。
1 争いのない事実等(証拠を掲記した事実以外は争いがない。)
(1) 亡Dは,平成20年7月ころBと交際を開始し,Bは平成21年○月○日に被告を出産した。
(2) 亡Dは,平成22年4月2日,亡Dが有する財産全部を被告に遺贈する旨の公正証書遺言(以下「本件遺言」という。)をした。
(3) 亡Dは,平成23年1月4日に死亡した。
(4) 亡D死亡後に被告がさいたま家庭裁判所に提起した認知請求訴訟(以下「前訴」という。)において行われたDNA鑑定において,被告と亡Dの母である原告及び亡Dの兄であるAとの間に血縁関係がある確率は7.2パーセントであるとの結果が出た。(甲8)
(5) さいたま家庭裁判所は,平成24年1月18日,亡Dと被告との間の親子関係を認めるに足りないとして,被告の認知請求を棄却する判決を言い渡した。(甲6)
(6) 原告は,亡Dの母であり,亡Dの妻とともに亡Dの相続人である。(甲1)

2 争点及びこれについての当事者の主張
 本件の争点は,亡Dが本件遺言をする際,錯誤に陥っていたか否かであり,これについての当事者双方の主張は以下のとおりである。
 (原告)
(1) Bは,亡D以外の男性との間で性交渉がありながら,これを秘して,亡Dに対し,性交渉を持ったのは亡Dとだけである旨主張した。これにより亡Dは,Bが出産した被告が自分の子であると誤認し,これを前提として本件遺言をした。しかし,上記のとおり,前訴において,被告と亡Dとの間に血縁関係がある可能性は7.2パーセントでしかない旨の結論が出され,亡Dと被告との親子関係は否定された。

(2) 亡Dは,真実は自己の子ではない被告を自己の子であると誤信した状態を前提として本件遺言をした。その際亡Dは,亡Dとは無関係である被告と亡Dの子である被告という属性について錯誤に陥っていた。

(3) 遺言において受遺者が遺言者の実子であるという属性は遺言の極めて重要な属性であるところ,この点に錯誤が存在すれば要素の錯誤に該当する。

(4) 仮にこれが動機の錯誤であるとしても,遺言における受遺者の地位は重要な地位であり,遺言の主要な要素であるから,この点に錯誤があれば要素の錯誤に該当する。そうでないとしても,亡Dが本件遺言の原案の作成をE弁護士に依頼する際,子供が生まれたから遺言書を作成したいと表示したから,本件遺言作成の動機を表示している。

(5) 以上により,本件遺言は無効である。

 (被告)
(1) 前訴においては,本来は亡DのDNA資料を用いて親子鑑定をしたかったものの,採取可能な資料がなかったために,被告と原告や伯父であるAとの間の血縁鑑定を行わざるをえなかった。そもそも血縁鑑定は親子鑑定に比して正確性が低く,前訴で鑑定を行った機関によれば,亡Dと被告との間で親子関係があっても,原告及びAとの血縁関係が10パーセント以下の低い可能性になることがあるということであった。そのため,亡Dが亡くなった後において強制認知が認められるほどに立証ができなかったのであり,真実として被告が亡Dの子でないわけではない。

(2) Bは平成20年7月ころから亡Dと交際するようになり,平日は亡Dが経営していた株式会社aで勤務し,休日も亡Dと会うなど,親密な交際を続けていた。そして平成21年○月○日に被告が誕生し,亡Dは川口市内の新築のマンションを賃借し,平成22年4月からB及び被告との同居を始めた。同じ頃亡Dは,生活を共にする被告に財産を残すため,また,自分の死後財産について争いにならないように本件遺言をした。このような経緯及び本件遺言が公正証書遺言であることに鑑みれば,亡Dにおいて,真意に基づき被告に財産を相続させるべく遺言をしたことが明らかであり,本件遺言作成時に亡Dに錯誤があったとは到底考えられない。

第3 当裁判所の判断
1 亡Dと被告の親子関係について

 上記説示のとおり,前訴において被告と亡Dの母親である原告及び亡Dの兄であるAとの間の血縁関係の有無についてDNA鑑定が行われ,被告と亡Dの母親である原告及び兄であるAとの間に血縁関係がある確率は7.2パーセントであるとの結果が出されている。そして被告代理人弁護士がその鑑定機関に照会したところ,実際に血縁関係にある者同士であっても血縁関係がある確率が10パーセント以下になる可能性はあること,ただし本件においてその確率は7.2パーセントであり,逆に血縁関係がない確率は92.8パーセントであること,血縁関係が全くない人同士でも血縁関係のある可能性が0パーセントとはならない可能性もあること,以上の回答(乙1の1ないし3)を得ている。これらの事実に照らすと,亡Dと被告との間に血縁的な親子関係があるとは認められないと言わざるを得ない。

2 錯誤について
 進んで,亡Dが本件遺言をする際に錯誤に陥っていたか否かについて検討するに,証拠(甲9,証人E)によれば,亡Dは被告が出生した後である平成22年3月末ころ顧問弁護士であるEに対し,子供ができた,子供に全財産が行くような遺言書を作っておきたいと述べて,遺言書の原案の作成を依頼したこと,Eは依頼に応じて亡Dから所有財産の概要を聴取した上で公正証書遺言の原案を起案して亡Dの了解を得たこと,亡DとEは平成22年4月2日に熊谷公証役場に赴いて遺言公正証書を作成したこと,以上の事実を認めることができる。

 以上の事実によれば,亡Dは被告が自分の子供であると信じて本件遺言を行ったものと認めることができる。しかるところ,上記説示のとおり亡Dと被告との間に血縁的な親子関係があるとは認められないというのであるから,亡Dにはこの点について錯誤があったものと認めざるを得ない。そして,一般に自分の有する財産全部を遺贈する遺言をするに際して,受遺者が自分の子供であるか否かは遺言者にとっては重大な関心事項であると考えられるのであり,本件においても亡Dにおいて被告との間の血縁的親子関係の存否にかかわらず本件遺言をしたであろうと推認すべき事情は認められないのであるから,亡Dのこの点についての錯誤は要素の錯誤に当たるものというべきである。
 そうすると,本件遺言は錯誤によってされたものとして,無効たるを免れないものと言わざるを得ない。


3 結論
 以上の次第で,原告の請求は理由があるからこれを認容することとして,主文のとおり判決する。
 さいたま地方裁判所第5民事部 (裁判官 藤下健)