小松法律事務所

遺留分放棄許可審判の取消申立を却下した高裁決定紹介


○「遺留分放棄許可審判の取消申立を却下した家裁審判紹介」の続きで、その抗告審昭和58年9月5日東京高裁決定(判時1094号33頁)全文と抗告理由全文を紹介します。

○東京高裁決定は、遺留分放棄の合理性、相当性を裏付けていた事情が変化し、これにより遺留分放棄の状態を存続させることが客観的にみて不合理、不相当と認められるに至つた場合は、遺留分放棄を許可する審判を取り消し、又は変更することが許されるとの一般論を述べながら、本件では、家裁の放棄許可審判を取り消さなければならないほどの事情の変更があつたものとはいえないとして、取消申立を却下しました。

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主   文
本件抗告を棄却する。

理   由
一 本件抗告の趣旨は、「原審判を取り消す。抗告人の申立てに係る東京家庭裁判所昭和50年(家)第8253号遺留分放棄許可申立事件について、同裁判所が昭和50年11月25日にした『申立人が、被相続人Bの相続財産に対する遺留分を放棄することを許可する。』との審判を取消す。」との裁判を求めるというにあり、抗告の理由は末尾添付の抗告理由書写し記載のとおりである。

二 よつて、案ずるに、当裁判所も、抗告人の本件許可審判の取消しを求める申立ては失当として排斥を免れないと判断するものであり、その理由は次のとおり付加するほかは原審判の説示するところと同じであるから、これを引用する。
1 抗告人は、本件遺留分放棄の許可を求めた一つの理由は、抗告人が勤務先の有限会社00工務店の2500万円に及ぶ借入金債務を連帯保証したことに伴い、将来被相続人Bの相続財産につき債権者から強制執行を受けることがあり得るという不安が生じたためであつたところ,右不安は00工務店が右債務を完済したことにより解消したから、遺留分放棄の許可を求めた事情が変更したものであり、本件許可審判は取り消されるべきである旨主張する。

 ところで、相続の開始前における遺留分の放棄についての家庭裁判所の許可の審判は、遺留分権利者の真意を確認すると共に、遺留分放棄の合理性、相当性を確保するために家庭裁判所の後見的指導的な作用として合目的性の見地から具体的事情に応じて行われるものであるから、家庭裁判所は、いつたん遺留分の事前放棄を許可する審判をした場合であつても、事情の変更によりその審判を存続させておくのが不適当と認められるに至つたときは、これを取消し、又は変更することが許されるものである。

しかしながら、他面、遺留分の事前放棄の許可の審判も、諸般の事情を考慮した上、公権的作用として法律関係の安定を目指すものであるから、遺留分放棄者の恣意によりみだりにその取消し、変更を許すべきものでないことはもとよりである。

したがつて、遺留分放棄を許可する審判を取り消し、又は変更することが許される事情の変更は、遺留分放棄の合理性、相当性を裏づけていた事情が変化し、これにより遺留分放棄の状態を存続させることが客観的にみて不合理、不相当と認められるに至つた場合でなければならないと解すべきである。


 これを本件についてみるに、先に引用した原審判認定のとおり抗告人がいつたんは連帯保証債務を負担したもののそれが主債務の完済により消滅したことにより、抗告人主張のとおり将来相続財産につき強制執行を受ける不安が解消したとしても、このような不安の解消によつて、抗告人につき遺留分放棄の状態を存続させることがことさら不合理、不相当と認められるに至つたものとはとうてい考えられない。

 先に引用したとおり原審判が、抗告人において本件許可審判を受けた当時負担していた連帯保証債務が消滅したからといつて、右審判を取り消さなければならないほどの事情の変更があつたものとはいえないと説示するところは、右に述べた理由からも相当として是認することができるというべきである。

2 また、抗告人は、被相続人Bはかねてから同人の遺産となるべき財産の一部を抗告人に遺贈する旨の遺言をしていたところ、抗告人が前記のとおり連帯保証債務を負担するに至つたのに伴い、改めてその財産を他の者に遺贈する旨の遺言をすることになつていたが、そのような新たな遺言はされないまま日時が経過した、右立石は既に83歳の高齢で新しい遺言をし得る状況ではない、したがつて、本件許可審判に係る抗告人の遺留分放棄はその前提を欠き必要性が消滅したから、右審判は取り消されるべきであると主張する。

 しかしながら、右主張に係る事実関係は、本件許可審判がされた当時の事情がその後変更したことを示すものでないことは明らかである。しかも、遺留分の放棄は、放棄者に相続人たる地位を失わせるものではなく、被相続人の行う財産処分等により遺留分が侵害されないかぎり放棄者になんら影響を及ぼさないものであるから、右事実関係は右審判を取り消すべき必要がむしろ存在しないことを示すものである。
 したがつて、右主張もまた採用することができない。

3 以上のほか、本件許可審判を存続させておくのを不適当とする特段の事情を見いだすことはできない。

三 よつて、原審判は相当であり、本件抗告は理由がないから棄却することとし、主文のとおり決定する。(裁判長裁判官 中島一郎 裁判官 奥平守男 尾方滋)

抗告の理由
一 遺留分放棄の取消しは放棄者の都合で、濫用にわたらない範囲で自由になしうるものである。(伊藤昌司、新版民法演習5親族・相続225頁)

二 遺留分の生前放棄は、他の相続人の遺留分には何ら影響を与えるものではないから(民法1043条2項)、その取消しも同様他の相続人の利益を侵害するものではない。

三 抗告人が遺留分放棄の取消審判を求めた理由はつぎの2つである。
(一)事情変更
 この点について、原審は抗告人の主張するところはいわゆる事情変更には当らないとするけれども連帯保証人たる地位にあることを理由として遺留分放棄をしたのに、その地位が喪失したことを理由としてその取消を求めることは事情変更に当たると思料する。

けだし、抗告人は連帯保証人になつた以上その支払いをすべき地位にある。この場合、抗告人は、主たる債務者が支払いをすることも予見していたのであるから、本件債務については抗告人としては、自らがこれを支払わなければならない場合と、主たる債務者がこれを支払う場合の何れの場合をも予見してこの遺留分放棄をしたのであるから、本件債務の支払いを主たる債務者である00工務店において弁済したからといつて、それは抗告人としては当然予見していたところであるからこれをもつて事情変更がある、とはいい得ない、という原審判には、論理的な矛盾はないように見える。

然し、抗告人が遺留分放棄を決意したのは、連帯保証人という地位に伴う不安であつて、主たる債務者00工務店が必ず支払うという予測がかりにあるとすれば、抗告人は本件遺留分放棄をしなかつたことは明らかである。従つて、本件遺留分放棄の事情を連帯保証人たる地位に伴う不安とみ、その解消を事情変更とみてその取消しを認めることは遺留分の生前放棄について裁判所の許可を必要とすることが主としてその放棄者の保護にある趣旨に鑑みて、放棄者の利益になることであるから、これは許されるべきことと思う。

本件を事情変更とみないとすれば、例えば養子縁組のあつたことを事情として遺留分の放棄をした者が、その縁組の解消を理由として放棄の取消しを認める場合(東京家裁審判昭和44・10・23、家裁月報22・6・98)、においても、論理的には縁組の解消も予測可能であるとすれば、放棄の取消しはできない筈である。要するに、予測可能性は絶対的のものでなく、遺留分放棄取消しの目的ー放棄者の利益ーに副つて解釈されるべき相対的のものと考える。

 要するに、事情変更か否かを決する最終の目標は、放棄の取消しが、放棄者の恣意にもとづくものであるかどうかということであろう。本件抗告人の遺留分放棄取消しの申立ては抗告人にかりに正確な事態の認識(連帯保証人は必ずしも絶対に支払う義務があるとは言えない)がなかつたとしても、そのことのために本件取消の申立てが抗告人の恣意によるものとは言えない。

(二)遺留分放棄の必要性の消滅
 本件遺留分放棄をするに至つた事情は、原審における陳述書第一項に記載のとおり、被相続人Bがその遺産となるべき財産を相続人以外のものにより強制執行をうけることを避けるため、従来抗告人にも遺贈する旨の遺言書があつたがこれを書き換えて、抗告人に遺贈することになつていた被相続人の財産を他の相続人へ遺贈する旨の遺言書を作成するという被相続人の意思を尊重して、その場合抗告人の遺留分を侵害することになるので抗告人は本件遺留分の放棄をしたものである。

しかるに、それから8年近くを経過する本日に至るも被相続人はそのような遺言書を作成していない。被相続人は既に83歳の高齢で判断力を著しく欠いている。今後新しい遺言書を作成する能力もない。遺留分の生前放棄は、放棄者に於いて遺留分相当以上の相続財産が予定されている場合には、これをする必要性がない。

若しこの者が相続財産を希望しない場合は、相続開始後相続放棄をすれば事たりるものである。従つて、現在に於いては抗告人のなした遺留分放棄はその前提を欠き必要性が消滅している。このような放棄許可審判の存することは、将来遺産相続の開始された場合、他の相続人に無用の誤解を招かしめ、延いては平穏に行なわれるべき相続に波紋を投ずることになる。

 以上の事実は、やはり一種の事情の変更と言えるかも知れないがこれを独立に取消事由としても何ら差支えがないと考える。けだし、取消事由は遺留分放棄の時の存する事情のみには限らず、右放棄の存続が不合理又は不必要になつた如何なる事情も、それが取消の濫用とみられない限り斟酌すべきものと思料する。要するに、この放棄は他の相続人に何らの影響を及ぼさないし、従つて、その取消しも亦同様であるから、取消事由の判断は放棄者の利益を中心とすべきである。放棄の取消しは放棄者の利益であつても、不利益ではない筈である。